評論 中上健次 『十八歳、海へ』所収「海へ」
松山 尚紀
イントロデュース
あなたは言い知れないほどの絶対的な孤独というものを、味わったことがありますか?
眠れない夜を一人で過ごしたことがありますか?
中上健次氏の作品の登場人物は、ほとんどみんな「悲劇の王」そのものでした。悲劇を生きる人、悲しい物語が好きな人にとっては、中上健次氏の作品はきっと、こころの寄る辺になってくれることでしょう。
結論から言うと、この作品のテーマは「存在の悲劇性とはどのように在り得るか?」だと思います。私は中上健次の「海へ」が大好きで六回は読みました。今回も本エッセイを最後まで読んでいただけると幸いです。
作者紹介
中上健次氏と言えば、コトノハ文学教室の講師であり、すばる文学賞の受賞作家でもある中上紀先生のお父さんにあたる人なわけですが、「中上健次っていったいどんな人なの?」と疑問にもたれた方のためにも、中上健次氏本人について語っていきたいと思います。
中上健次氏は和歌山県の新宮市出身の作家で、新宮高校卒業後、予備校を経て、羽田空港で肉体労働をしたのち、作家になった人物です。戦後生まれ最初の芥川賞作家としても有名で、『推し、燃ゆ』を書いたことで知られる、宇佐見りんも中上氏を尊敬しています。「中上健次以降の日本の作家の作品は文学じゃない」と言う人もいますし、「中上健次の死=日本近代文学の終焉」と言う人もいます。
予備校時代は、あまり勉強はしなかったようで、新宿にあったジャズ喫茶に入り浸って、悪い遊びをしながらジャズを聴きあさっていたのだとか。ジャズ喫茶ヴィレッジヴァンガードによく入り浸っては、友人と語り合ったという思い出は、ジャズ作品集『路上のジャズ』という本に克明に描かれています。その本のなかには、「鈴木翁二 ジャズビレ大卒」というエッセイもありますが、中上氏もまた「ジャズビレ大卒」だったのでしょう。結婚したのちに、芥川賞を受賞し、有名作家になり、アメリカや韓国やフランスなどに滞在し、作家活動を展開しました。
中上氏のことを、「気性の激しい性格の人だった」と言う人もいますし、「ジェントルでやさしい人だった」と言う人もいます。人によって、作品も人柄も賛否両論がわかれる作家なんでしょうね。
一九九二年に他界された中上氏ですが、毎年、夏に「熊野大学」という和歌山県で行われる中上健次氏に関するセミナーには、多くの人が来ていました。
その他、本人に関することで言えば、晩年は対人恐怖が募って、自室からあまり出ない生活を送っていたという説もあります。
そんな命を燃やすようにして、激動の人生を送った中上氏ですが、二十代の頃に書かれた短編小説「海へ」はどんな作品なのでしょうか? その詳細に迫っていきたいと思います。
あらすじ
あらすじとしては、周囲からの抑圧を肌で感じ取っている青年が、バスに乗って海へ行き、兄の死を機に、海に潜って死んでいくといった内容です。
「海へ」本文から一部引用します。
海、
おまえの言葉は音楽そのものであるのだ。ねえ、一緒に行こうよ。海へ。軟体動物の胃袋のような都会が黒くくらい悲壮ヒロイックな怒りを妊んだ海に変身し、僕はおまえとたった二人でここで、いま海のまんなかの波だけがうっすらとしろいクレヨンで描いたような気がする無人島にとりのこされてしまった。人々がみんなさまざまな味のする夢を食う頃、凍りついた月の光に照らし出された家々のむこうから、白痴の巨人が重い鎖のついたいかりを地面に引き摺りながらどこまででも歩き続ける。ゴヤの絵が、たてる潮鳴りを僕はおまえの髪のにおいと共にきく。
本論
詩的で、緊密にして、悲劇的な言葉運びは読む人のこころを勇敢な魂へと導きます。
詩人・作家の松浦寿輝氏も熊野大学二〇二二で登壇した際に、『千年の愉楽』の「六道の辻」のラストシーンを引用して、「フリージャズのようなフレージングだ」という内容のことを述べていました。現に、「海へ」にはフリージャズのアーティスト、ジョン・コルトレーンの名前も登場します。
有機的でドロドロした文体で、作品は終わりまで駆け抜けるように描かれるのですが、まるで「文学の本来の在り方とは悲劇なんだ」と主張しているようで、「それが現代になるとここまで現実味を帯びてしまう、さらに救いのない物語になるんだ」という、当時代的な存在の悲劇性の在り方がすでに言葉運びに溢れ出ていると私が感じます。
感情に任せた情動のフレージングは、どこまでも神様に向かって進んでいったジョン・コルトレーンのように神話的です。
この頃の中上氏は『枯木灘』や『千年の愉楽』とは、また違う都会的な感覚で作品が書かれていて、存在が前のめりになっているような強さが私を刺激します。両作品ともに、客観的な視点を意識して考えれば、中上氏の最高傑作と言ってもいいほど、素晴らしい作品です。理由は自己否定性がしっかりと内在されているからでしょう。要するにそれは、「自分を殺してみせることで、自分を活かす手法」とも言えます。私が今回、敢えて「海へ」を選んだのは、中上氏の本質や超本質が見えやすい作品だったからです。
「海へ」には、ジョン・コルトレーンが用いたと言われている、スリートニックの手法が小説化されていると感じます。スリートニックとは主音が三つあるという考え方のもと、作曲をおこなっていく手法で、主役が三人いるような感覚で、重力が一点だけにかかっていないのが特徴です。
本作もギリシア悲劇『オイディプス王』に範をとった「父親殺しと母親との近親相姦の物語」、『アンティゴネー』に範をとった「兄の葬送と自殺の物語」、『エレクトラ』に範をとった「母親殺しの物語」(これは表面的には描かれていず、作品に内在している本質としてですが)の三つの物語が含まれていると思います。つまり、一人で非リシア悲劇の主人公の三役を演じているという感じですね。これがスリートニック的なのです。
存在の悲劇とはいつも隠れた「罪」によって、演じられるものです。それをファミリーロマンス(家族物語)としての視点を重点にして、描いたのが中上氏の功績であり、そこに性愛の問題意識や勇敢さの問題意識が介在してくるので、より純文学的になるのです。
ある一定の人々はなぜ、周囲からの抑圧を感じながら生きるのでしょう? 先ほど言った通り、隠された「罪」を犯すからなのですが、なぜその「罪」は存在するのでしょう?
キリスト教には「原罪」という言葉があり、アダムとイヴの楽園追放以降、避けられない罪として、人間に背負わされた罪だというようなことは、俗説としてありますし、いろんなウェブサイトにもそのような記載はあります。
運命論的に決まっていることなので、変えられないことなのだと言ったらそれまでですが、この存在の悲劇性こそが人を勇気づけ、強くするのです。
人はほんとうの試練や困難を前にしたときに、無意味に生きていくことはできません。物語というのがないと、精神が折れてしまい、努力することができません。日本人は西洋的な物語の代わりに「癒し」を求めることで、勤勉に痛みに耐えていますが、そういった意味で日本人はかなり特殊なのです。
そんな日本人に西洋的な物語をあくまで当時代の流れや、日本文学のウェットな気質に乗せて作品を書いたのが中上氏です。
『枯木灘』や『千年の愉楽』は日本語の美しさが奥深く追求されている日本文学の最高傑作と呼ぶ人もいるくらいなのです。
そんな天才作家であった中上氏は、命を余すところなく吐き出すようにして、四十六才の若さでこの世を去ります。
宇佐見りんが中上氏を推したからこそ、現代でも名前を知っている人はいますが、現在では中上氏の作品を読む若い人も減ってきているようです。
これを機に一度、中上氏の作品に触れてみるのもいいかもしれませんね。
正直に言えば、ぜひ読んでいただきたいです。
中上健次作「海へ」はほんとうに大傑作ですので。
参考文献
参考文献
・中上健次 『十八歳、海へ』 集英社文庫 初版 一九七七年
・ソポクレス 『オイディプス王』 岩波文庫 初版 一九六七年
・ソポクレース 『アンティゴネー』 岩波文庫 初版 二〇一四年
・エウリピデス 『ギリシア悲劇 Ⅳ エウリピデス(下巻)』 初版 一九八六年
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