書評 中上健次『枯木灘』
冨田 臥龍
イントロデュース
読者のみなさん、中上健次という作家を、知っていますか?
中上健次は、団塊の世代を代表する作家で、中上さんより3歳若いのが村上春樹さん、6歳若いのが村上龍さんです。戦後生まれ初の芥川賞作家で、『岬』という作品で芥川賞を受賞しました。熊野(和歌山県・三重県・奈良県にまたがる地域)の新宮(和歌山県)の被差別部落に生まれ育った、新宮高校出身の作家です。北野武さんや都はるみさんとも親しかった方です。ジャズ喫茶で青春をおくった世代の方ですね。
最近の方だと、小説家の宇佐美りんさんがリスペクトする作家としても有名です。
私の研究対象でもある彼、中上健次さんについて、簡単に紹介します。
作者紹介
中上健次さんは1946年に熊野・新宮の被差別部落で生まれ、複雑な家庭で育ちます。実の父を入れて、父が合計3人。母親は一人ですが、異父兄がアルコール中毒もあって縊死、自殺。3月3日のひなまつりの日、水平社の日でした。これが、中上さんの文学の大きなテーマになっていきます。新宮高校卒業後、上京し、ジャズ喫茶に入り浸り、青春を過ごします。その後同人誌『文藝首都』の同人となり、後の妻(作家の紀和鏡さん)と知り合います。
同人には、太宰治の娘、作家の津島佑子さんもいました。
後に生涯の友人、文藝評論家の柄谷行人さんと知り合い、交友を深めます。
中上さんは、ジャズ喫茶での、ドラッグや酒、女、の日々にけりをつけようと、羽田空港で貨物の積み下ろしの仕事をします。その後築地魚河岸などでも働きました。『十九歳の地図』で芥川賞候補、『鳩どもの家』『浄徳寺ツアー』も芥川賞候補、『岬』で芥川賞を受賞します。その後、今回取り上げる『枯木灘』『地の果て 至上の時』と「秋幸三部作」を書き上げ、『千年の愉楽』『奇蹟』と、路地の「中本の一統」と呼ばれる一族の盛衰、生死を、路地の稗田阿礼のような産婆オリュウノオバと毛坊主のレイジョさんが見とどける話を書きます。路地消滅後、『日輪の翼』『讃歌』と、路地を出発したトレーラーにオバたちを乗せ、日本各地の呪術的なトポスを経巡ったあげく、東京・皇居へ。東京で散開したツヨシはイーブ、田中さんはターとなり、新宿・歌舞伎町のホストクラブなどで働く、という話を書きました。その後、『異族』で、路地のタツヤ、アイヌのウタリ、在日のシムの三人は三国志のように義兄弟となり、右翼の大物槇野原の構想する満州国再興を模索するという話を書きました。(これは未完で終わりました。)しかし、腎臓癌で46歳で亡くなりました。妻に作家の紀和鏡さん、娘にこれも作家の中上紀さんがいます。
この、今回の『枯木灘』のあらすじは、以下の通りです。
あらすじ
もともと、芥川賞受賞作『岬』の続編で、主人公竹原秋幸は路地の青年。母フサの再婚相手繁蔵の家庭で暮らしています。繁蔵の兄の妾の子である徹、繁蔵の息子の文昭といっしょに土方仕事をしています。秋幸には異母兄の郁男がいましたが、異母姉の美恵と夫婦のような同居生活をしていましたが、アルコール中毒の果てに自殺。秋幸には、実父浜村龍造がおり、ならず者、流れ者であった龍造は、この土地に来ると同時に三人の女を同時に孕ませ、放火や土地収奪で成り上がりました。そして戦国武将浜村孫一に依拠してその子孫と名乗り、記念碑を建てました。龍造の息子で秋幸の異母弟の秀雄と秋幸の異父姉である美恵の娘の美智子の恋人である五郎とで、不良同士の喧嘩があり、五郎は怪我をします。
その調停の為もあって、料亭で龍造と秋幸が会います。
秋幸は『岬』で異母妹のさと子と近親姦を犯したことを龍造に告げましたが、のれんに腕押しでした。秋幸には紀子という恋人がいました。秋幸は土方仕事で自然と一体になります。
前にユキが路地で流していた噂で、徹が白痴の女の子にいたずらをしているというものがありましたが、その強姦現場を秋幸は見てしまいます。
盆がやってきて、盆踊り歌で「兄妹心中」が流されます。
盆の灯籠流しの夜、秋幸は秀雄を石で打ち殺します。秋幸はいったん逃げますが、自首して出ます。
龍造は、刑務所から帰った秋幸は買いだ、と述べます。
フサは紀子の訪問をうけ、秋幸の子を身ごもったと告げられます。
徹が白痴の女の子を手招きするところで、小説は終わっています。
いかがだったでしょうか。そもそもこの作品は「秋幸三部作」という連作作品の一つで、その真ん中の作品になります。『岬』では秋幸が異母妹のさと子と関係を持つところで終わります。『枯木灘』では秀雄の殺人、『地の果て 至上の時』では浜村龍造の自死、そして路地が焼き払われて終わります。中上健次の文学作品の中でもとても重要な作品なわけですが、どのへんが鍵なのでしょうか? 主に三つあります。
本論
まず一つ目。秋幸と実父・浜村龍造の、父子の相克、争い。実際にいた、中上健次の実父、留造さんは、あまりすごい人ではなく、バクチうちの小さなならず者のような人だったらしいです。そして、実際の父代わりであった、異父兄・行平(いくへい)さんは自死。つまり、実際にはいなかった父への妄想が大きく中上さんの中で膨れ上がり、自殺した兄と、実父と、田中角栄のような父イメージが融合して、浜村龍造という大きな父の像が生み出されました。田中角栄も馬喰の子だったので、イメージに合っていたのです。そして、行平さんのイメージもあったので、龍造は最後に自裁するわけです。中上さん自身のイメージも、投影されていたことでしょう。
二つ目には、「兄妹心中」の盆踊り歌。これは、私には、『古事記』にある、イザナキとイザナミの、つまり「兄妹」の、婚姻による国生みに対する、呪詛のように、見えます。路地、被差別部落に、この江州音頭の由来を持つ、盆踊り歌が定着したのには、何か意味や由来があるように、思われます。大和・倭の国家と天皇という大王(おおきみ)が、この日本列島に定着し、国家と王の形で政府を持ち、支配する中で、「まつろわぬ人々」つまり、その支配を認めない、あるいは受け入れない人々が、蔑視されて、被差別部落を形成していったわけです。なので、路地といわれる被差別部落で、この盆踊り歌が、王と国家を呪詛していても、不思議ではないわけです。
三つ目。「タブーを犯す、反復する。」タブーとは、近親姦であり、また、近親殺人です。そして、路地の焼き払いのように、根拠地を消す事。そして、それが、多少のズレを孕みながらも、人類史において、反復される構図があること。これも、すべて、国家と天皇制にも、その由来があります。天皇家や公家が、近親姦で、様々な障害を持った子孫が生まれたことは、近くは大正帝のケースを見ても、よくわかります。近親殺人は、天智天皇と天武天皇のケースなどは、それです。北朝鮮でも、金正恩とその兄弟のことで、金正恩は、兄弟を殺害しました。根拠地の焼き払いは、戦争の場合など、よくある事です。
路地、被差別部落で行われていることと、天皇家、公家で行われている事は、基本的に、同じです。3月3日の雛祭り、宮中では、曲水の宴があります。路地・被差別部落では、水平社の日です。奈良の橿原神宮の造成時に、ご神体に選ばれた鏡は、路地・被差別部落から出土した古代の鏡だったといいます。かように、国家・王と、被差別民と、この二つは呪術で深く結びついているのです。上の自由と下の自由。共同体の中のメンバーたちには見えない、二つの共同体の外の世界は、実は本質的に同じ空間なのです。
プラスしてすこし書くと、浜村孫一はちんば、つまり片足のない、身体障害者の方ですが、王もまた、ある種の障害を背負う、異人なのです。この障害は、場合によっては身体、知的、精神、いろいろなケースがあります。これらの負の呪力が、正の呪力に転化して、共同体を統治する力になるのです。これも、隠された呪力の秘密の一つです。
まだまだありますが、いろいろ考えながら、連想しながら、深い読書をチャレンジしましょう。むろん、最初は浅い読書でかまいません。しだいに、深くしていってみましょう。
面白く、楽しく、深く。読書は本来、無類の楽しさをもつものです。「勉強」とか難しく考えないで、エンタメと思って、気軽に読んでみましょう。きっと、人生が、たのしく、豊かになっていくはずです。
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参考文献
参考文献 中上健次『枯木灘』河出文庫 1980年。
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