書評 中上健次『異族』
冨田 臥龍
イントロデュース
読者のみなさんの中には、この中上健次『異族』を知っている人は、わりと多くないと思います。あまり知らない、という人も、多いでしょう。
『異族』は、中上健次さんの最後期の作品の一つ(最後期といっても46歳までで、他にも『軽蔑』や、その他の作品を同時並行で書きつつあり、その多くは未完となりました。『異族』も、未完の作品です。)で、ある種の政治小説なのですが、いわゆる「問題作」の一種で、評価もけっこう割れています。劇画漫画のようだ、というネガティブな評もあるし、ある種の天皇小説みたいな、政治小説的な解釈もあります。
ともあれ、中上さんの小説家としての、最後のもっとも大きな仕事、という考えは多くの評者に支配的で、しかし、どう捉えていいか、よくわからない、という声も、多いのも事実です。そういう、中上文学の最後を飾る、大作の重要作品について、しかし今回は、入門者向けエッセイ、書評ということもあり、とても「さらっと」、重要で面白い部分だけをかいつまんで、中上研究のホープであり、将来の中上研究の大家(?)たる可能性を秘めた、私、冨田臥龍が、面白おかしく、優しくナビゲートいたします。
作者紹介
中上健次さんの最小限のデータを差し上げましょう。
中上健次さんは、熊野の新宮の被差別部落で生まれました。母には、最初の夫との子、2番目の夫との子(これが、健次さんです)、そして3番目の夫、3番目の夫の元には、連れ子で、健次さんを連れていきました。そういった、極めて複雑な家庭に育ったのが、健次さんです。その背景には、やはり、被差別部落特有の、差別や貧困、自由な恋愛・家族観などが基底にありました。健次さんはその後、新宮高校を卒業、家族の経済的支援もあって、上京します。予備校に僅かに在籍しましたが、すぐにやめ、新宿のジャズ・ヴィレッジという不良のたまり場のジャズ喫茶に、通い出します。同じ故郷の友人に、文学論をふっかけたりもしていたようです。リキというボスに好まれ、モリという大学生崩れのインテリとも親しくして、ドラッグや酒や女の日々を過ごします。学生運動も、少しはしたようです。
その後、文藝首都という同人雑誌に参加、後の奥さんの、作家紀和鏡さんと知り合い、結婚。友人の柄谷行人氏が結婚式を取り仕切りました。その後、「まっとうになりたい」と考えた中上さんは、羽田空港の飛行機の荷下ろし作業や、魚河岸の軽子、その他の肉体労働に従事。作家としては、文藝首都の終焉を紀和鏡さんと共に看取り、しだいに文壇で知られていきます。そして『岬』で芥川賞受賞。30歳の時の事でした。
その後、『枯木灘』『地の果て 至上の時』と、秋幸という主人公の登場する、通称「秋幸サーガ」を書き、母のことを書いた『鳳仙花』、被差別部落・路地(中上さんは、被差別部落を、偏見や差別から開放する意味合いで、「路地」と好んで呼びましたので、ここでも「路地」という言葉を入れておきます)について主に書いた『千年の愉楽』『奇蹟』、路地崩壊後の果てについて書いた『日輪の翼』『讃歌』そして今回の『異族』などを書き、他に、朝日新聞連載小説の『軽蔑』なども書きましたが、これらの活動で、日本の文壇、アメリカ、韓国、その他全世界に活躍の場を広げました。「路地はどこにでもある」とおっしゃり、世界中の被差別の人々や、そういった文化などに親しみ、世界の文士・作家たちと交友を結びました。アイオワ大学の作家たちを集めた集まりにも参加。後半は、劇画原作などにも手を広げ、劇画『南回帰船』の原作も手がけました。翻訳も、世界中の言語に行われました。存命中から、熊野大学という文学の夏期セミナーを立ち上げ、後進を育てました。発言集やエッセイも多数。友人の柄谷行人氏と共に、一時代を創りました。しかし、腎臓癌に冒されていることが発覚、慶應義塾大学病院に入院しましたが、若く、病の進行は早く、最後は熊野の故郷に戻り、46歳で腎臓癌で亡くなりました。友人の柄谷行人氏が、葬儀を取り仕切りました。その後、熊野大学の組織は残り、今も続いています。全集が友人の柄谷行人氏の差配で編集され、集英社より出版されました。現在、2022年(令和4年)現在、没後30周年ですが、現在も熊野大学は存続し、後進は中上健次さんに学び続けています。
お墓は熊野・新宮の南谷墓地にあります。
あらすじ
さて、『異族』についてですが、主人公の、路地出身のタツヤと、在日のシム、アイヌのウタリの三人が、空手道場で知り合い、三国志の義兄弟の契りのように、義兄弟になります。路地出身の夏羽もいますが、あとで自死します。右翼の槙野原という人物が、この三人に目をつけ、戦前の大東亜共栄圏のように、右翼帝国主義を目論み、その先兵として、この三人の「異族」を利用しようとします。疑似家族のような集まりが、空手道場に集まる、暴走族やヤンキーたちの間でできはじめ、しかし性の乱れやリンチ殺人によって、集まりはいつも流動します。女性や赤ん坊も登場、ちょうど『サイボーグ009』のような、世界再興の疑似家族が、できあがります。しかし、槙野原の意向と、三人の義兄弟の考えも、微妙にずれていきます。最後は、南方の沖縄、台湾、フィリピンなどへ向かい、南方の連邦制の共和国なども構想されますが、最後は、右翼の槙野原は実は中国人であるという噂も流れ、この槙野原を殺すことも最後のプロットで書かれ、これによって、「父殺し」が完成された、とされた直後、中上の病と死によってプロットは断絶し、この作品は未完に終わりました。
本論
この作品はある種の政治小説で、ある識者は、「天皇小説」などと言っていましたが、むしろ、この小説は、いかにして天皇制支配を脱構築するか、について、思考実験を行った、「脱・天皇小説」と考えるのが、妥当でしょう。いわば「異族」であり、つまりは「大和・倭・ヤマト」ではない、日本内の「異民族」である、被差別部落民(「路地」の民)、在日韓国・朝鮮人、アイヌ人、あるいは沖縄の琉球人、在日の中国人その他の外国人、そういった人々が、この「ヤマト」で、どう生きていくべきか、について考えた、政治小説、というのが、本当のところでしょう。
この小説は、中上さんにとっても、難しい問いであったようで、何度も中断しながら書き継ぎ、最後は未完に終わりました。病と死がなくとも、この小説をまとめるのは至難だったでしょう。それは、「異族」である、路地のタツヤ、在日のシム、アイヌのウタリを義兄弟として結びつけている紐帯が、いわば、右翼の大物、槙野原という、ヤマトの代表者へのアンチでしかなく(この槙野原も、実は「中国人」であった、と、脱構築されてしまいます)、それ以外に、この三者を結びつける紐帯が、ないからでもあります。つまり、ヤマトの拡大した、大東亜共栄圏に、サブの形で従属する、路地、被差別部落と、在日と、アイヌ、あるいは沖縄・琉球、その他、そういった接着剤以外の絆が、ないからです。
だから、ある意味、ある識者の、「天皇小説」という考えも、あながち間違ってもいなかったのかも、しれません。つまり、「天皇」というシンボルを脱構築したい、という願望だけが、共有されており、それ以外の強いシンボルは、存在しないわけです。あったとしても、韓国の王や、アイヌの酋長のような存在や、部落の「中本の一統」や、オリュウノオバ、レイジョさん、あるいはそういった文化、それしかない。つまり、「アンチ巨人」のようなもので、「巨人軍」という、強いヤマトのシンボルがあった上で、そのアンチとして、ゆるやかに連帯しているだけで、独立した求心力を、持たないわけです。「天皇殺し」つまり槙野原殺しによって、この作品が終わったのは示唆的で、しかも、プロットまでは書けたが、描写は許されなかったわけです。日本語で小説を書く、という、王権への「弾性限界」ぎりぎりまで頑張ったが、そこで呪力は途切れたわけです。その限界まで至った作家は、私の知る限り、ドストエフスキーと中上健次の二人しかないのです。そして、二人とも、最後は王権に呪殺されたわけです。「まつろわぬ神々の呪詛」たる、文学の試みを、最後まで徹底的に突き詰めると、ロシア語で書きながら、ロシアのツァーリ(皇帝)を呪殺しようとし、日本語で書きながら、日本の天皇を呪殺しようとするという、極相に至ります。その「まつろわぬ神々の呪詛」の欲望は判りますが、しかしそれは無理というものです。王殺しと、王と国家の戦争の描写だけは、その国語において、タブーとされています。これは、どの国語でも、どの国家でも、同じ事です。(このタブーを、原理的に乗り越えることは、全く不可能です。そして、その究極点まで突き詰めた、本物の作家は、ドストエフスキーと中上健次しか、いないと思います。今の私が、知る限りでは、ですが。)ゲーテも、ディケンズも、フォークナーも、それはやれていないと思います。大江健三郎も、村上春樹も、村上龍も、それはやれていないと思います。よって、この二者、つまり、ドストエフスキーと中上健次よりは、それらの作家は、より次善の作家、という事になります。必然的な帰結として、ですが。(むろん、だからといって、文学的な意味がない、といっている訳では、ありません。存在意義は、全ての作家にあります。しかし、その文学というメディアの極相まで突き詰めたのは誰か、ということです。)ハードな文学ファンにも、ライトな文学ファンにも、おすすめです。
参考文献
参考文献 中上健次『異族』講談社 1993年8月2日。(プロットなし・文庫にはあり。)
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