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冨田臥龍

評論 大江健三郎『新しい人よ眼ざめよ』

評論 大江健三郎『新しい人よ眼ざめよ』

冨田 臥龍 


イントロデュース

今回は、日本が世界に誇る、2番目のノーベル文学賞作家、大江健三郎さんについてです。

この前、大江健三郎さんが亡くなられました。ご冥福をお祈りします。

1935年(昭和10年)生まれ、アジア・太平洋戦争の前のお生まれです。

安倍晋三さんが亡くなり、石原慎太郎さんが亡くなり、今度また大江健三郎さんが亡くなることで、「戦後」(アジア・太平洋戦争、日本側の呼称では大東亜戦争の、「戦後」)が終わり、アフターコロナ、シェアエコノミーの「ニューノーマル」の時代を迎えそうですが、さあいかがでしょうか。この、アフターコロナに入る春、新しい「戦後・後」の時代を迎えそうな展開になっております。ですが、「戦後」という時代を読み解くのに、「戦前」という時代の精緻な分析が必要かつ重要であったように、この後の「戦後・後」の時代も、この前の1945-2023の78年間の分析が、この後の時代を迎えるにあたってとても重要であり、この「戦後」をもっとも代表し、その良い面も、悪い面も反映した大作家である大江健三郎さんの、特にその中でも、評論家や他の小説家に格段に評価の高い作品である、この『新しい人よ眼ざめよ』について読み、分析し、理解することは、大変重要なことのように思われます。そこで、ここから、わかりやすく、大まかに、大江健三郎さんについて、見取図を示しますので、読み進めていきましょう。

大江さんについては、ざっくりと以下のことをまず、知っておきましょう。

作者紹介

1 四国の、みかんで有名な愛媛県出身。大江さんの文学世界では、「四国の谷間の村」な

どと表現され、名作『万延元年のフットボール』や、『同時代ゲーム』などの舞台にな

りました。

2 東京大学フランス文学科卒。主任教授は有名なフランス文学研究者の渡辺一夫。

大江さんはサルトルがお好きで、原書で耽読といいますから、すごい語学力です。

3 東大在学中に「奇妙な仕事」という、犬を150匹殺すアルバイトをする学生の小説

が五月祭受賞作として東京大学新聞に掲載、毎日新聞の文芸時評欄で高く評価され、実

質的に学生作家としてデビュー。まったく天才的です。 

4 「死者の奢り」という、医学部の実験用の死体運びというアルバイトを題材とした作品

を発表。高い評価を得る。気持ちの悪い話ですね。

5 「飼育」という、捕虜として日本軍に捕まった黒人(アフリカ系アメリカ人)兵を、ペ

ットのように「飼育」するというテーマの作品で第39回芥川賞受賞(1958年)。正式にデビューですね。

6 その後、『個人的な体験』(1964年)で新潮社文学賞、『万延元年のフットボール』

(1967年)で谷崎潤一郎賞、『洪水はわが魂に及び』(1973年)で野間文芸賞、

『「雨の木(レイン・ツリー)を聴く女たち」』(1983年)で読売文学賞、この作品

『新しい人よ眼ざめよ』(1983年)で大佛次郎賞、「河馬に噛まれる」(1984年)

で川端康成文学賞、『人生の親戚』(1990年)で伊藤整文学賞、1994年にノーベ

ル文学賞受賞、『燃えあがる緑の木』(1993年-1995年)なども代表作です。

7 2023年3月3日、88歳で亡くなります。

8 親族に伊丹万作、伊丹十三、かかわりの深かった人に武満徹、長男で知的障害者の大江

光(ひかり)は、多くの大江作品に登場。特に『個人的な体験』と、この作品『新しい

人よ眼ざめよ』は、イーヨーという名で語られる人物のモデルは、大江光(ひかり)氏

です。


ここまで、ざっくりとした著者紹介でした。

あらすじは、大江光さんがモデルと思われるイーヨーと、大江健三郎がモデルと思われ

る主人公、そして家族とのかかわりが縦軸、18~19世紀のイギリスの神秘主義詩人ウイリアム・ブレイクの詩と、その宗教的な詩の世界、そこに共感する主人公の心の世界が横軸になっています。


このあたりまでが、最小限の前提知識になります。いちおう、知っておきましょう。

本論

さて、この作品をどう読むか、ですが、


1 まず、くりかえしになりますが、『個人的な体験』と同様、大江健三郎と大江光さんのパーソナルな体験談が基礎にあって、それに加えて、ブレイクの詩が導入されて、展開されてあるということ。

2 この際、そのパーソナルな体験談と、ブレイクの詩という本の世界がどう繋がっている

か、という問題。


この二つぐらいが大きなテーマになります。

ブレイクの詩について詳しい、という人、原書で読んだことのあるという人は、英米文

学科の教授ぐらいなもので、ほとんどの人は知らないでしょう。私も、同様に、知りま

せん。申し訳ありませんが。

なので、ブレイクの詩の深い意味について探求するのは、ほぼ不可能です。

もし、この作品について、私がいいうるとしたら、これは、

癒しがたい傷からの再生の物語」とだけ、いえるでしょう。

そもそも、『個人的な体験』の場合でも、その後の作品でも、知的障害者として生まれ

てきてしまった光さんに対して、「障害者殺し」という、優生思想やナチス、最近では

新自由主義という、「経済のナチス」みたいな思想への誘惑は、大江健三郎さんにも豊

富にありました。それは、どの作品にも描かれています。

大江光さんも、癒しがたい傷とその治癒の必要性を、多く持っている。

その光さんを抱える大江健三郎さんも、癒しがたい傷を負っている。

この二者が、共に生きる道を、現実的に選択する時、何か依拠するものが必要になって

くる。つまり、障害者殺しを是認したり、作家や障害者の家族の暮らしを、社会に有害

な、よけいなものと考える、心ない人々から人権や身を守る、砦のようなものを。

それが、おそらくキリスト教であったり、キリスト教に対する神秘主義の宗教的な世界

の、ウイリアム・ブレイクの詩だったり、する。だが、キリスト教信仰をもろに、ガチ

ンコに適用されるのも、そういった土台の希薄な日本社会では、ちょっと抵抗感がある。

(障害者の方を抱えるご家庭は、新興宗教などの格好のターゲットになりやすいので、

そのご家族は、そういった宗教の家庭への介入について、とてもセンシティブです。当

たり前の事ですが、こういったことも踏まえて、理解しておきましょう。)

そこで選び出されたのが、ブレイクの詩、そんなところでしょうか。

大江健三郎さんは、とても入念な作家さんなので、聖書からもろに引用したりせず、『コ

ーラン』からあえて引用したり、ブレイクから引用したり、しています。

(ここでも、もろにキリスト教に依拠しない戦略がとられているわけです。)

大江光さんが、プールで溺れる。ブレイクも、「落ちていく」と詩に書いている。

神と人の関係は、父と子の関係にも、似ている。

ブレイクは、子の立場から、「お父さん!」と何度も訴えている。

それは、子という、「小さきもの」から、親、父という、「おおきな、つよい、万能なる

もの」への、必死の訴えかけでもある。

大江光さん、イーヨーは、必死に父・大江健三郎の痛風の足をいたわる。

それは、愛でもあり、自分が障害者として、親から見捨てられないようにする、

生存の知恵でもある。

ブレイクは、父なる神なしでは、生きられない。「お父さん!」の呼びかけは、つまり、

父という存在なしには生きられない息子が、親を畏れ、慕うのと、同じである。

こうやって、このテクストにおける、ブレイクと大江光さん、イーヨーの、縦糸と横糸

は、繋がり、「テクスト(織物)」の名の通り、テクストは編まれる。

実際にテクストを編んでいるのは、妻(大江さんの奥さん)の機織りなのかも、しれな

い。

かくして、家族総出の「愛の機織り」が、知識人大江健三郎のブッキッシュな(本など

を引用する小説のやり方をとる小説家の好みのこと)ブレイク導入により、いわば完成

していくこととなる。そして、こういった「愛の機織り」なしに、この家族を運営して

いくことは、「魂の救済」的にも、「家族経営」的にも、「夫婦愛・家族愛・子どもたち

への愛」的にも、成り立たない。つまり、これは一種の「ファミリー・ビジネス」(家

族総出の小説)でもあるわけですが、まあ、こんな感じの読みが、私のこの『新しい人

よ眼ざめよ』という作品への、読みです。

つまり、大江健三郎さんと大江光さんの個人的な物語と、ウイリアム・ブレイクの詩の

世界が融合して、神と人、父と子、健常者と障害者、といった「非対称の関係性」(中

沢新一)に、対称性が持ち込まれ、家族という一体感の中、救済がもたらされるという

物語です

さて、最後に、一言添えると、まあ、このような世界が、主に大江健三郎さんの文学世

界ですが、一般に、大江健三郎作品は読みにくい(アンリーダブル)で、晦渋(とても

むずかしいこと)、なかなか村上春樹や村田沙耶香、西村賢太、東野圭吾、池井戸潤的

には読めません。まあ、これはしょうがないところでしょう。私自身、大江を読み始め

たのは、だいぶ後になってからで、村上龍や村上春樹、そして中上健次と、だんだん文

学的なレベルの高いほうへと推移し、後になって、私が卒業した大学の教授の読書会で、

大江健三郎作品の代表作を取り上げることを逆提案し、そこで読んだ内容を評論にま

とめ、同人誌に載せました。それで、大江文学の世界がだいたい判ってきたわけです。

でもまあ、とりあえず、「ノーベル文学賞」の水準、という世界は、存在します。(これ

も、過去、いろいろ調べて、日本人以外のノーベル文学賞作家についても、知りました。)

なので、日本人の二人のノーベル文学賞作家(川端康成、大江健三郎)と、一人の日系

人のノーベル文学賞作家(カズオ・イシグロ・石黒一雄)については、「世界最高水準

の文学者・作家」と考えて大丈夫です。ぜひ、そのプレミアムなクオリティの世界を、

堪能いたしましょう。ということで、おすすめです。(終)(3970字)


参考文献


大江健三郎 『新しい人よ眼ざめよ』 一九八六年 講談社



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