書評 砂川文次『ブラックボックス』
冨田 臥龍
イントロデュース
読者のみなさんの中には、この砂川文次『ブラックボックス』を知っている人は、あまり多くはないと思います。
少しは、いるかもしれません。
作者紹介
砂川文次さんは神奈川大学出身。陸上自衛隊に入隊。AH-1Sという攻撃ヘリの操縦をしていたようです。退職後、都内の区役所に勤務。
2014年秋ごろ、陸曹航空操縦学生の時、書き上げた投稿作『市街戦』で2016年の第121回文學界新人賞を受賞しデビュー。『戦場のレビヤタン』『小隊』が共に芥川賞候補、『ブラックボックス』で第166回芥川賞を受賞。
出身は大阪府吹田市、現在32歳。
最初の頃は、軍隊や戦争に関する小説を書いていたようですが、詳しくは知りません。
あらすじ
この『ブラックボックス』は、自転車便の仕事をしている主人公サクマが、事故に巻き込まれ、自分の人生を振り返り、高校卒業後、自衛隊に勤務し、喧嘩をして辞め、不動産屋の営業職に就き、そこも喧嘩をして辞め、コンビニのアルバイトをしていた時に知り合った彼女である円佳と暮らすが、円佳が妊娠し、煮詰まっていたところ、税務署からきた二人組の男性と喧嘩して捕まり、刑務所に入る、そういった話です。
本論
どう読むか? ですが、文体がとても男くさい。堅い文体です。しかし、新しい文体。砂川さんは攻撃ヘリのパイロットをしていたようですが、自転車便のサクマの描写は、たしかにパイロットのそれに似ています。無駄のない端的な会話、メカマニア、操縦の感覚。
時代感覚としては、ウーバーイーツの自転車便のお兄さんの登場する小説、みたいなノリが一般に受容される大きなきっかけとなったイメージだと思いますが、最初の頃のサクマの仕事はややそれより高度な自転車便の仕事。バイク便の自転車版のようなものです。
社会の底辺を徘徊するサクマは、喧嘩っ早い為、常に地雷を抱えたままの人生を送っている。そして結果、刑務所へ。
自転車便の仕事の描写は秀逸。自転車便の仕事をする仲間との人間関係も、上手く描けています。タイトルの「ブラックボックス」とは、以下の意味合いで選ばれたようです。
引用します。
「ブラックボックスだ。昼間走る街並みやそこかしこにあるであろうオフィスや倉庫、夜の生活の営み、どれもこれもが明け透けに見えているようでいて見えない。張りぼての向こう側に広がっているかもしれない実相に触れることはできない。」
(砂川文次『ブラックボックス』p53より引用)
自転車便を辞めたあとは、例によってウーバーイーツの自転車便をやるわけですが、基本的には何も変わらないとされています。
税務署からの二人組を殴ったあと、刑務所に入るわけですが、刑務所の描写がわりとリアルです。私も詳しくは知りませんが、説得力のある描写。雰囲気は出ています。
サクマこと佐久間亮介さんは、問題人物で、とても暴力的です。
その、欠陥人間ぶり、暴力的で、すぐにキレる人描写が上手です。
もちろん、著者の砂川文次さんのある側面も、こういった部分がおありなのでしょう。
サクマ=砂川文次さんではないものの。
いわゆる「私小説」ではないので、安易に重ねることはできないし、御法度ですが。
世間的な文脈では、「格差社会」と「非正規雇用者搾取」、「都市の現代的孤独と疎外」などで、急激に増えた、街に溢れるウーバーイーツの自転車便のお兄さんたちという現代風俗を巧みに取り入れた作品、と見做されているでしょう。
砂川文次さんご自身は、元自衛官ですが、この経験が、初期の作品では直接的に、この作品などでは、自転車に乗るサクマの描写や、刑務所の描写などに、生かされているようです。
どうも、自衛隊といった軍隊と、刑務所などは、似ているようです。
攻撃ヘリのパイロット体験も、サクマの自転車に乗る感覚の描写に、上手に生かされています。
こういった問題人物(しょっちゅう喧嘩をし、それがもとで何回も仕事を変えている)ではあるサクマですが、彼女はちゃっかりもっています。
だから、ある部分では、リア充の側面も、あるのかもしれない。
円佳の描写も魅力的で、しかし、円佳も、現代社会の論理を、素直に受け入れているわけではない。コンビニのバイトの時も、真に受けず、受け流している。だから、ある意味、どちらも反社会的なカップルで、一種の共依存という考え方もできる。
村田沙耶香さんの『コンビニ人間』の古倉さんのような女性かも、と、少し思いますが、円佳さんは古倉さんほどエキセントリックな問題女性ではない。静かな反社会性、のようなもの。『コンビニ人間』の古倉さんの彼氏、白羽さんのような男性とサクマは真逆で、サクマは暴力性を外発的に抑えられないタイプ。オタクというならばメカオタク、ヤンキー的とも、部分的には言える。
砂川文次さんご自身は、かなり個性的で、眼がやばい感じです。
西村賢太さん以来の、文学的な新星といえます。
サクマは、自転車便のメッセンジャーなわけですが、帯に
「ずっと遠くに行きたかった。今も行きたいと思っている。」
とある通り、「今・ここ」にある生や性、仕事、(過去の)学校、(過去そして今の)家庭生活などに、満足しておらず、いわば漂泊の人生を送っている。旅のような人生である。
サクマにとって、今・ここにある共同体はいつも喧嘩を産む、トラブルの種であり、サクマは社会と融和できず、孤独です。ある意味、自転車便のメッセンジャーの仕事の職場は、現代的な人足寄場のようなもので、非正規雇用、職に安定できない不安定人材、問題人物や犯罪的な芽のある人の集まる場、潜在的にニートやひきこもりだった人、フリーターたちの一時的な居場所であると言えます。それを、マニアックで男性的、現代的な文体で描写することによって示すところが面白い。
メカに強い若い男性には、趣味的な要素と仕事を一致させられる自転車便のメッセンジャーの仕事は、バイク便とバイク好きの若い男性の職業的一致のように、趣味嗜好が一致するわけです。ただし、ちゃんとした人生、ちゃんとした社会人ではないという引け目が、サクマにはいつもある。そしてその負い目が、差別的な待遇によって怒りに火が付き、暴力事件、喧嘩を起こし、それによって社会的不適合が増す。
いわば、人生と社会的生活のデフレ・スパイラルから、抜け出せていないわけです。
この作品は純文学ということもあって、最後まで、主人公の社会的疎外は、増すことはあれ、けっして失うことはありません。
そこが、この作品に自分を擬えて、共感する若い男性や、円佳に自分を重ねて共感する若い女性を産む、大きな優位点になっているわけです。
いわば「格差社会」における現代的疎外は、故・西村賢太さん作品『苦役列車』、村田沙耶香さん作品『コンビニ人間』、そしてこの砂川文次さん作品『ブラックボックス』と、脈々と伝えられている、と、言えます。ここに、宇佐美りんさんの『推し、燃ゆ』も、加えてもいい。宇佐美さんの場合は男性アイドルに対するストーカー的なファンという、性的、恋愛的な疎外、西村さんの場合は職業的、学歴的疎外、村田沙耶香さんの場合も、仕事(非正規雇用、アルバイト)における疎外、あるいは、そこから派生した、性や恋愛における疎外、です。
サクマは、社会全体に対して、「ブラックボックス」のように、複雑すぎて不可視の混沌を見ています。「社会的不可視」という課題を抱えたサクマにとって、刑務所という「わかりやすい社会」は、一種の救済でもある。
刑務所が社会福祉施設になりかねない「格差社会の底」について、この作品は、問題提起しているわけです。
現代的な社会の闇について、現代文学の視点から、捉え、考えてみたい人に、おすすめです。(終)
参考文献
参考文献 砂川文次『ブラックボックス』講談社・2022年1月24日。
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