書評 村田沙耶香『コンビニ人間』
冨田 臥龍
イントロデュース
読者のみなさんの中には、この村田沙耶香さんの作品『コンビニ人間』を知っている人は、わりと多いと思います。
作者紹介
村田沙耶香さんは1979年生まれ、43歳。
千葉県印西市出身。
二松學舍大学付属の、現・柏高等学校出身。
玉川大学文学部卒。
コンビニでのアルバイトを経験し、
2016年に『コンビニ人間』で芥川賞受賞。
(ただし、デビューは、2003年、『授乳』で第46回群像新人文学賞優秀賞受賞が先。)
横浜文学学校で宮原昭夫さんに学びました。
あらすじ
『コンビニ人間』は、コンビニでアルバイトをする、古倉さんという若い女性が主人公。
古倉さんは、幼い頃から、社会不適合があったが、コンビニへの労働には適合できた。
コンビニを愛し、彼氏も作らない古倉さんに、友人の女の子たちは不安になる。
そんな古倉さんにも、念願の彼氏が! と思ったら、彼氏ではない謎の若い男性、白羽さんが登場。古倉さんのアパートに押しかけるが、風呂場の風呂桶の中にかくれてしまう、ひきこもり男子だった。謎の関係が始まる。しかし、結局、彼氏よりコンビニをとった古倉さんは、カップルにもならず、結婚も出産もせずに、コンビニに過剰適応し続けるのであった。
本論
村田沙耶香さんは多いときには週3日もコンビニ・バイトをしており、ほぼ唯一、適合できた仕事だったという。それもあって、古倉さんのモデルは、村田さんご自身の説が有力。
ちなみに、村田さんが、文学の基礎を学んだ、横浜文学学校は、私・冨田の学ぶ文藝学校の系列の組織で、横浜文学学校にも、私・冨田も、一時期通っていました。
二松學舍大学も、私・冨田の通った大学院が、二松學舍大学の大学院だったので、重なります。村田沙耶香さん自身にも、ある時期まで彼女のファンで、いろいろなイベントなど、彼女の出るイベントに通っていました。そして、どうやら、文藝学校の仲間が教えてくれたのですが、この『コンビニ人間』の白羽さんのモデルが、私・冨田が有力らしい。
そんなこんなで、私・冨田とゆかりの深いテクストが、この『コンビニ人間』ということになります。
このような事情もあって、一時期、多くの村田沙耶香さんの作品を読みました。
最近の女流作家の中では、飛び抜けて優秀な作家さんだと思います。
『マウス』や、『しろいろの街の、その骨の体温の』『殺人出産』などを読みました。
村田沙耶香さんは、幼少期から小説を書き、早くから少女小説家(少女の、小説家、少女の読む小説を書く、小説家)だったようです。
村田沙耶香さんの世界は、だから、少女が、その成長を止めてしまって、いわば少女の幻想の中で、小説世界を紡いでいるようなところがあります。
「元祖おひとりさま」や、性に関するユニークさ(自慰行為に関する言及など)、
「クレイジー沙耶香」と、小説家仲間に言われる、個性、
カップルや結婚・出産といった、若い女性が普通に成熟し、くぐる門をくぐらない独自性、
そういったあたりに、彼女の文学世界の特徴があります。
少女そのものは、つまり女性の成長過程の一時期であって、普通はそこを卒業して、変化していくわけですが、彼女はかたくなにその成長を拒むわけです。
いわば、一種の発達障害、ネオテニー的な幼形成熟(ウーパールーパーのような。村田さん自身、美しく可愛らしい方ですが、どこかウーパールーパーに似ています。癒やし系。)
なわけです。
大人というのは、わりと常識的で、それ(常識や社会規範)を受け入れていくわけですが、少女や少年というのは、いろいろユニークな想像力を羽ばたかせるわけです。
『不思議の国のアリス』のような永遠の少女、処女や、『ピーターパン』のような永遠の少年、童貞は、文学ではなじみのあるテーマですが、社会一般からみれば、かなりストレンジャーです。風変わり、とも言える。
村田さんの最大の個性は、こういった、成熟拒否、社会規範受容拒否にあるわけです。
『マウス』も、人畜無害な少女を欧米では「マウス」と言うところから、大人しい少女のことを描いた作品で、『しろいろの~』も、千葉とおぼしき新興住宅地の、少年と少女の淡い恋愛を描いたものです。『殺人出産』は、SFで、近未来での、「産み人」という社会的な役割を担うと、10人出産すると、1人殺しても良い、という世界の話。これらの村田さんの想像力の背景には、この、「幼形成熟的自我」があるわけです。
そこで、近代文学というよりも、少女まんがのように、少女文学や、あるいはSF、ファンタジーになりやすいわけですが、この『コンビニ人間』は、珍しく、「近代文学」に近い作品、ということになります。
つまり、近代的な自我を備えた、若い女性と、若い男性の、恋愛の話。
しかし、近代の象徴たる、コンビニエンス・ストアそのもののほうに、若い女性は魅了され、若い男性のほうに、関心が向かない。これは、既に、ポストモダン状況に入っている現代、近代的な、「ロマンティック・ラヴ・イデオロギー」自体が、いわばご破算になっている状況下であるためです。近代の「エゴイズム」は、「近代恋愛」という対幻想よりも、「コンビニ」という「世界資本主義」や、そのもとでの「エゴの充足」へと向かう。結果、「恋愛結婚」よりも、「カップル」よりも、「おひとりさま」が選ばれる。そういうわけです。
コンビニへの過剰適応は、ある意味、アスペルガー的です。つまり、彼女には、世の中の、通常の人間関係が、よくわからない。理論社会学者のニクラス・ルーマンのいう「過剰な複雑性」のように、混沌としていて、自然に、世の若い女性の友人たちが、彼氏を作ったり、結婚したり、出産したり、子育てをしたり、おばあちゃんになって孫のめんどうをみたり、そういった摂理に自然に従っていることが、よくわからない。
結果、アスペルガー症候群の人のように、わかりやすい規範、つまり、「コンビニのルール」に、過剰適応するわけです。これは、横断歩道の足形に足をおいてしまったり、環境運動家グレタ・トゥーンベリさんの地球環境への過度な思い入れのように、全体のルールがよく判らない場合に、何かのアイコン(イコン)に過剰適応するわけです。
村田さん自身は、そのアイコン(イコン)は、部分的にはコンビニの時代もあったかもしれませんが、彼女は作家なので、文学、文字、小説、物語などに「過剰適応」する、「依存」する(アディクト)のかも、しれません。
一般の女性にとって、性の受容(あるいは、非・受容)というのは、とても大きなテーマですので、彼女が傑出した小説家になったのも、これが大きいでしょう。
一般に、女流作家は、いにしえは清少納言、和泉式部、紫式部から、樋口一葉、林芙美子、最近は瀬戸内寂聴に至るまで、性や恋愛にまつわるテーマが圧倒的です。
逆にいうと、性や恋愛にノーマルな、女流作家は、ほとんどいないと思います。
戦前は、「キャフェの女給」のような、夜の女性に、女流作家は、多かった。
戦後は、ふつうの女性の仕事で、インテリ、一種の名士ですら、「女流作家」は、ありますが、やはり特殊な仕事でしょう。
ちなみに、最近の砂川文次『ブラックボックス』の中に、コンビニのアルバイトをしていて、主人公のサクマと出会い、カップルとなる女性、円佳が出てきますが、ここにも、村田沙耶香さんの『コンビニ人間』の影響が、あるかもしれない。
昔、村田さんのサイン会のイベントに行って、フランクフルトに「コンビニ人間」とケチャップでかいてあるデザインのしおりと、『コンビニ人間』の本とがあって、なんとなく「ゲッ」と思ったのも、いい思い出です。
才能の多い女性で、テレビ出演や、女性誌のエッセイや、紅白の審査員まで経験していて、身近な文学仲間では、中上紀さんとならんで、有名人の一人です。
ほにゃほにゃした感じの、フェミニンな人なのですが、なかなかどうして。
わりと、ジェンダー平等の先駆者や、LGBTQ+的なセクシャリティのはしり、とも言えます。最近も、仕事は多く、文壇や五大文芸誌でも、多く取り上げられている大作家なので、ぜひ、本を手に取って、読んでみて下さい。
わりとなじみやすく、よみやすく、おもしろいとおもいます。
若い女性にも、女性一般にも、男性にも、おすすめ。(終)
参考文献
参考文献 村田沙耶香『コンビニ人間』文藝春秋 2016年7月30日。
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