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執筆者の写真松山尚紀

評論 村上春樹 『一人称単数』所収「チャーリー・パーカープレイズ・ボサノヴァ」

   評論 村上春樹 『一人称単数』所収「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」


松山 尚紀  



イントロデュース

 村上春樹氏はジャズが好きなことで有名な作家です。本人が学生時代にジャズ喫茶でアルバイトをしていたことがあったり、「ピーターキャット」という名前のジャズ喫茶を営んだことがあったり、『ポートレート・イン・ジャズ』(新潮社刊)というジャズエッセイ集を出版したりもしています。

 なかにはご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、毎月最終日曜日に放送されることが多い、TOKYO FM系列のラジオ番組「村上Radio」というタイトルの村上氏自身がDJを担当する番組でも、ジャズの曲をよく流しているんですよ。

 高校時代からジャズが大好きなジャズマニアの村上氏が、老年に至って書いた短編小説が本作「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」なのです。今回はこの短編小説について、じっくりと語っていきたいと思います。

 結論から述べると、この小説は「チャーリー・パーカーに自己治療としての音楽をやって欲しかった、という村上氏の想い」や「時間の伸縮性とはなんなのか?」や「未来に向かっていく時間とはなんなのか?」、を描いたと小説だと私は思います。

作者紹介

 本論に入る前に、まず村上春樹氏について、紹介したいと思います。

 一九四九年京都生まれ、兵庫出身。早稲田大学卒業後、東京の国立でジャズ喫茶「ピーターキャット」を経営する。一九七九年、初めて書いた中編小説『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞。一九八二年、『羊をめぐる冒険』で野間新人文学賞を受賞。その後も数々の賞を受賞し、二〇〇六年にはフランツ・カフカ賞も受賞。

 代表作に『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』、『海辺のカフカ』、『色彩のない多崎つくると、彼の巡礼の年』、『騎士団長殺し』があります。

 海外移住や旅行経験も豊富で、英語が堪能です。翻訳者としても有名で、多くのアメリカ文学の小説を日本語に翻訳しています。サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を敢えて、英語名の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』と翻訳し、タイトルをつけたことは、文学の世界では有名です。

 初めて書いた小説、『風の歌を聴け』は一度、新しい文体や雰囲気を発見するために、英語で書いた文章を日本語に訳して、賞に投稿したのだとか。

 一つ目はわかりやすいですが、二つ目と三つ目はちょっと難しいという読者の方もいらっしゃるかもしれないですが、最後まで読んでいただけると幸いです。それでは、詳細について綴っていきたいと思います。

 「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」は、ジャズ界の大御所チャーリー・パーカーをモチーフにした作品です。

 「バードが戻ってきた。」という、インパクトのある書き出しではじまる本作は、小説の約五分の一が、チャーリー・パーカーの架空ジャズ評論で占められるという、一風変わった作品となっています。

 この小説を理解する上で、チャーリー・パーカーという人物について知っておくことは大切なことでしょう。なので、最初に「チャーリー・パーカーってどんな人なの?」と疑問に思った人のために、簡単にチャーリー・パーカーという人物についての説明をしたいと思います。

 ちなみに、先ほど引用した「バードが戻ってきた。」という冒頭の一文の「バード」とは、チャーリー・パーカーの愛称のことです。「バード」は言うまでもなく、「鳥」を意味する英語ですが、チャーリー・パーカー本人がフライドチキン屋のアルバイトをしている際に、まかないのフライドチキンばかりを食べていたから、「バード」と呼ばれるようになったというのが定説です。これに関しては諸説あります。ウィキペディアなどの他のサイトには、いくつかの説の記載がありますが、本エッセイの筆者である私がジャズ評論の書き方やジャズの聴き方のコツを教わっているM先生という方は、「フライドチキン屋のまかない説が有力です」と話していました。

 チャーリー・パーカー自身は破天荒な人で、薬物中毒がひどく、薬物を手に入れるためのお金欲しさにアルトサックスを売ってしまったり(違法薬物の使用は絶対にいけないことなので、マネしてはいけません)、カンザスシティの地方から出てきた一介の荒くれ者でサックスを吹くことだけが上手だったので、都会に出てきてサックスを吹き、一旗あげたりした人物です。一九三〇年代の終わりの頃から、ジャズの世界に台頭しはじまった「ビ・バップ」というジャズの一つのムーブメントの立役者にもなった人としてジャズの世界で有名です。いまでも多くのジャズマンがチャーリー・パーカーに対し、ジャズの古典的人物として、尊敬の眼差しを向けています。

 もし機会があれば、読者の方々にも実際に、チャーリー・パーカーのジャズをぜひ聴いていただきたいというのが私の切なる願いです。ほんとうにいいんですよ。哀愁に満ち満ちていて、泣きのあるサックスはジャズマニアを唸らせるものがあります。オススメのナンバーはアルバム『Charlie Parker』に収録されている「I Remember You」という曲です。郷愁が音の端々に溢れ出ていて、どこか帰るべき場所へと帰りたくなるような感覚を呼び起こさせる、そんな素敵なジャズスタンダードナンバーの演奏です。

本論

 本題に戻りましょう。

 本作はチャーリー・パーカーの架空ジャズ評論と、主人公の「僕」が雑誌に載せるために架空ジャズ評論を書いたという種明かしと、ニューヨークの中古レコード屋で自分が書いた架空ジャズ評論と同じ内容のレコードが販売されていたのを確認したのだけど、その後にもう一度、中古レコード屋に行ってみたら、そのレコードはなかったという話と、夢のなかにチャーリー・パーカーが出てきて、いろんなことを「僕」に語りかけたというような内容になっています。

 架空ジャズ評論というのは、実際にはないレコードに関する評論で、小説内では主人公の「僕」が執筆したということになっています。

 架空ジャズ評論を着想して書くというだけでも、アイディアの着想力や「ジャズ力」とでも呼ぶべきなのか、ジャズに対する愛着や知識や見識がなくてはいけないわけですが、それに物語まで付してしまうところあたりが素晴らしいですよね。これは大きな魅力の一つです。

 文体についても述べましょう。

 本作に限らずですが、この作品は特にジャズの即興演奏を聴いているような流麗な言葉運びで、小説が展開され、進んでいくところが素敵です。読みやすいだけでなく、文章の流れが強く意識されていることにより、単にチャーリー・パーカーをモチーフにしただけでなく、文体そのものとチャーリー・パーカーの演奏から受ける印象がしっかり付合している点が優れていると思います。わかりやすく言えば、「チャーリー・パーカーの演奏を文章にすると、こういう感じだよな」とか「チャーリー・パーカーを作品のモチーフにするには、ぴったりの文章だな」とか筆者である私は思うわけです。

 本エッセイの最初の方でも述べた、作中にも書いてある「時間の伸縮性」についても話したいと思います。

 私が思うに、時間というのは一定じゃないということを述べているのだと思います。読者のみなさんも、辛い時間や嫌な時間が長く感じるということは経験としてあると思います。これは私の推測ですが、村上氏が描いたチャーリー・パーカーには、「時間の外に出たい」、「辛いことが起きている、いまという時間の外に出て、未来に辿り着きたい」という思いがあったのではないでしょうか。

 同じくチャーリー・パーカーをモデルにした主人公が出てきていると言われている、アルゼンチンの作家フリオ・コルタサルの短編小説集『悪魔の涎・追い求める男』に収録されている「追い求める男」には、主人公が演奏している最中に「その曲だったら、明日吹いたぜ」という論理になってないフレーズを残すシーンがあり、「家庭で宗教や借金の話ばかりしていたから、時間の外に出たかったんだ」というような内容の話を主人公がするシーンなどが描かれています。

 つまり、時間というのは一定でなく、未来を希求すればするほど、現在にかかる重圧が重くなって、時間が伸びたり縮んだりするという、抽象的な話を村上氏は書きたかったのだと思います。時間が伸びたり縮んだりするということは、その人の観念のあり方や人生に対するスタンス次第で、時間のあり方も変わるのだということを意味いるのでしょう。

 もちろん、以上のことだけを村上氏は描きたかったわけではないと思いますが、重要な点として私が捉えたのは、これらの事柄であり、本作の本質的な部分だと思います。

 余談ですが、作中には「実在」という言葉が何回か登場します。

 作中の「実在」というのは、いったいなにを意味しているのでしょうか?

 人の意識のなかにそれが存在すれば、それは物質として存在していなくても存在するということだと私は解釈しています。

 それこそ、チャーリー・パーカーの架空ジャズ評論そのままのアルバムや、主人公の「僕」の夢のなかに出てくるチャーリー・パーカーの存在や言葉のように。

 そう考えると、短いながらに奥深い作品ですね。まだ読んだことがないという方は、これを機に村上春樹作「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」を読んでみてはいかがでしょうか?

 チャーリー・パーカーの演奏の録音や、作中に出てくるボサノヴァの名曲「Corcovado」を聴いてから読むと、さらに奥行きが増すかもしれませんね。



参考文献

 参考文献

・村上春樹 『一人称単数』 文集文庫 初版 二〇二〇年

・フリオ・コルタサル 『コルタサル短編集 悪魔の涎・追い求める男』 岩波文庫 初版 一九九二年

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