評論 筒井康隆 『エロチック街道』所収「ジャズ大名」
松山 尚紀
イントロデュース
読者のみなさんはジャズの成り立ちがどういうものかご存知ですか? ご存知の方もいるかもしれないですし、そうでない方もいるかもしれませんね。ジャズの最初の形「ラグタイムス」というのは、ニューオーリンズにいた黒人がブルースを基礎にして形成していったものですが、具体的にどのように成り立っていったかは不明なのです。自然発生的に音楽が好きな人たちが、ガチャガチャ、チャカチャカやってたら、いつのまにかできてしまった音楽なんですね。
本作「ジャズ大名」はそんなジャズの歴史の盲点をつき、「こんなことだってあり得たんじゃないの?」というように筒井康隆氏の想像やら、妄想やらが炸裂した傑作です。
評論に入る前に、「筒井康隆っていったいだれなの?」と疑問に思う読者の方もいるかもしれないので、作家自身について説明していきたいと思います。
作者紹介
一九三四年生まれ。大阪府の出身です。小説家にして、劇作家、俳優。同志社大学卒業後、星雲賞、谷崎潤一郎賞、川端康成賞、芸術文化勲章、紫綬褒章、日本芸術院賞・恩賜賞など数々の賞を受賞しています。
パロディやスプラスティックを得意とし、SF作品や純文学作品を執筆。着物姿で写真に写ることが多く、腕組みをした風格のある姿が印象的です。代表作に『時をかける少女』、『旅のラゴス』、『パプリカ』、『口紅に残光を』、『富豪刑事』などがあります。
それでは、本作品のあらすじに入っていきたいと思います。
あらすじ
ときは一八六五年。
南アメリカのミシシッピー河沿いを歩いていた若い黒人のジョー。背中にはトロンボーンを紐で括りつけて、テキサス州に住んでいる弟や従兄弟たちに会うために旅をしていました。彼は大農場主の家の奴隷の子として生まれますが、十六歳のとき、ニュー・オーリンズの貿易商の家庭に売り飛ばされます。
イギリス人貿易商が南軍の負けを予見し、家族ぐるみで逃げ出した際に、ジョーは解放され、酒場で清掃員をやっていました。そのときに、耳に残っていた四分の二拍子の軽快な早い曲。これがジャズの前身になるものだったのですが、ジョーはそんなことは知りません。
そして、ジョーは叔父と再会し、ニューオーリンズで聴いた音楽を叔父たちに教えます。
そのあと、メキシコ人に連れられて、荒野を歩き、船に乗ります。彼らのもともとの故郷であるアフリカ行きの船です。
しかし、結果として、彼らは日本に漂着し、投獄されるのですが、牢屋でジャズを奏でていると、とある大名がその音楽をひどく気に入り、ジョーたちに演奏させます。
そうなると、街はてんやわんやの大騒ぎ。小太鼓や陣太鼓や薩摩琵琶や笛や三味線や鉄鍋や桶や樽や洗濯板や算盤を持ち出し、みんなで大合葬します。
本論
こういった内容の小説なのですが、ところどころに学びになる知識や、軽く笑えるユーモアや笑えないけど思わずおもしろいなと思ってしまうようなエスプリが効いていて、楽しい小説になっています。ジャズがわからない人でも、「ジャズっておもしろそうじゃん」と思わせるような作品になっているので、そこが本作の魅力の一部でもあります。
本作はいろんな土地の名前が出てきて、実際に場所の移動も大きくあります。当時、流行していたラテンアメリカ文学の影響をここに見て取れます。ラテンアメリカ文学はとにかく、場所や時間の移動が大幅にある作品が多いからです。現に、筒井氏はラテンアメリカ文学が好きだったという話もあります。もちろん、大幅な場所の移動を読みづらく感じてしまう読者もいるかもわかりませんが、この部分に関して言えば、あんまり難しいことは考えず、スケールの壮大さを味わえばいいのだと私は思います。
「ジャズ大名」はいろんな「If」の可能性に満ちていて、読者の想像を刺激する部分もおもしろいところです。たとえば、「もしジャズを演奏できる人が、幕末の日本にやってきたら?」とか、「日本の楽器と欧米の楽器でセッションしたら?」とか「もしこんなふうにして、ジョーのような人が世界を渡り歩いたら?」など、さまざまな「If」に満ちています。可能性を探りながら、「こういうのもありかもな」と思って読むのも一興だと感じます。
歴史やジャズに関する豊富な知識に裏付けされた、リアリティも魅力的です。空想だからといって、そのまま空想ではおもしろくない場合が大半で、そこになんらかのリアリティがないと、空を切ったように空滑りしてしまうのが、小説の難しいところですが、これだけ設定がぶっ飛んでいるのに、読者を引き込むだけのリアリティがある描き方ができる筒井氏は相当な知識や筆力や想像力の持ち主なのでしょう。その力量のすごさに、思わず舌を巻いてしまいそうになります。
例えば、最初にジョーからジャズを教わって、トマス叔父トロンボーンを吹いたとき、どうしても暗くなってしまうのは「霊歌ばかりやっていたからだ」という内容のことをルイがぼやくシーンがあるのですが、この辺も強固なリアリティがあります。知識ばかりの小説はつまらないですが、知識がしっかり活かされて、内部に浸透している小説はおもしろいということの代表的な例のように思えます。やっぱり、知識の貼り付けだけをしたような小説は、所詮付け焼き刃で前日のみ徹夜して受けたテストの結果みたいなもんなのでしょうね。出来が違うと感じます。
筒井氏はそういった意味でも、知性に優れた作家だと感じます。もちろん、知性が優れている作家というのは、星の数ほどいますが、想像力や豊富な知識といった点では、他の作家もお手上げなくらい、群を抜いて素晴らしいと感じます。
筒井氏の小説が嫌いという方もなかにはいるかもしれません。
理由は男性的な要素が強く、過激だからです。ショートショート集『笑うな』所収の「会いたい」には女性の首を絞めて、愛する女性を殺す夢なのか現実なのか、わからない小説があります。筒井氏というと、代表作の『時をかける少女』の印象が強い方も多いのではないかと思います。『時をかける少女』はほとんど過激なシーンはないですが、他の作品には多く過激なシーンや、倫理的な言葉遣いや内容になっていないものもあります。
その毒気がまた筒井氏の味なのですが、現代を生きる敏感な若い人にとっては、「ちょっとついていけないな」と思ったりする人もいるかもしれません。
いずれにしても、筒井氏は実力派の作家です。若い頃から、文学活動に勤しんでいたようですし、相当に腕を磨くための努力もしてきたことでしょう。それは執筆に限らず、いろいろな経験を積んだり、見識を深めたり、などという人生の活動をすべてひっくるめてです。
もちろん、執筆をするうえで、なにをしたら正解というのはほとんどありません。書くことが大切ということくらいです。しかし、それに関しても、一概には言えない節があります。基本的に、量を書けば、筆力は上がるというのが定説ですが、大量に書きすぎて、失敗する人もいますし、書かなすぎて失敗する人もいるので、千差万別と言っていいでしょう。
どんな文化に触れるといい作品が書けるかとか、どんな経験を積むといい作品が書けるかとか、ときどき質問されることがありますが、それはやはり、自分に合ったものを選択するのが一番としか言いようがないのです。
もちろん、日本人なので、日本文化に根ざしているものは活かしやすいということや、流行を意識した選択をすることができる、ということは言えます。それでもその答えを探すのは至難の業で、各々が答えを探していくしかないのです。
最後は、文学教室でやるような創作論に話が逸れてしまいましたが、筒井氏の「ジャズ大名」、これを機にぜひ読んでいただけると幸いです。
参考文献
※参考文献
・筒井康隆 『エロチック街道』所収「ジャズ大名」 初版一九八四年 新潮社
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